編集者の岡澤浩太郎さんに会ったのは、今はなき『トキオン』誌の編集部にいたころで、当時の編集長に誘われて連載を書いていた私がふらっと編集部に寄った時、眼光鋭い若手編集スタッフ数名に紹介されたことをぼんやり覚えています。その後彼は『スタジオボイス』に移動し、アート欄担当になって、なぜかガーリーでならしていた(?)私に、テリー・リチャードソンについて執筆してほしいと頼んでくれて、「かけません」と電話でお断りしてしまったこともぼんやり覚えています。当時の自分の未熟さとともに。。
ボイスがなくなって、時々展覧会のプレスプレビューで相変わらず眼光鋭い彼をみかけたので、MOTの廊下で当時抱えていた『拡張するファッション』の企画(編集者募集中)の話をしたら「いいですね、やりましょう」と男前に言ってくれました。
編集についていろいろ話すうちに、「岡澤君も書くといいですよね」というと「いやいや僕は編集っす」というのでさすがポリシーがあるんだな、と思っていたら、そのうちにTwitterやFacebookで展覧会にいった後間髪をおかずするどい批評コメントを残すという名ライターぶりを発揮するようになって、さすがだな、人ってわからないものだな。と思った。
私も彼もフリーのライターをしているので、日頃から出版界の現状について思う所がないはずもなく、そんなことも話題にのぼるのですが、メディアというものについて「コミュニティがあるところには、メディアはあるよね。ぎゃくにいえばコミュニティがあれば、メディアは必要とされるから、なくなるはずはないよね」という持論を話したりもした。
あるとき岡澤君があらたまって、「自費出版について話をききたいんですが」と言ってくれたので、15年以上もそんなこと(個人的出版?)にかかわってしまったからにはなにか伝えられるものもないと、と思って昔の色々な資料を手に会いに行った。
ポリシーがあるというのはなかなかなことで、だから堅牢な城が築けたりするのですが、またそのポリシーがいつのまにか変わっているということが、この現実界の魅力をかたちづくっているきがする。
そんなことを考えさせてくれる岡澤さんが版元かつ編集長になり、まったくあたらしいメディアを世に出そうとしています。すでに実生活における素敵なパパぶりを発揮している彼ですが、こちらの名編集長ぶりも、この長い紹介文以上のものをいずれ書きたくなる日がくるようなきがします。
須山悠里さんのデザインが、この媒体にとてもよくあっていて、本当に楽しみです。私も今回は現代美術作家の志村信裕さんとの往復書簡という企画で参加させていただきました。それはとても光栄なことでした。みなさまぜひ『まほら』をよろしくお願いいたします。2018年7月1日発売だそうです。