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2023年02月09日

ブログ移行

本ブログは2010年代のものとし、2020年代のものはtumblrに移行しました。
https://hereandtherelove.tumblr.com/
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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Tumblrに登場! here and there news 2020年の告知欄

わたしがイギリス留学中に『here and there vol.14』発行が重なったため、
もとShe is → 現在me and youの竹中万季さんが、助っ人として、いろんな情報をアップしてくれるTumblrをつくってくれました。
『エレンの日記』刊行、東京都写真美術館の展覧会(でもコロナで延期)、それにまつわるフェアなど情報満載です。

https://hereandtherenews.tumblr.com/

Contemporary Art Dailyの「写真とファッション」展(東京都写真美術館、2020年)の記事はこちら
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2018年07月02日

here and there vo.13 HYACINTH REVOLUTION issue

h&t_vol13_H1_preview.jpegh&t_vol13_H1_preview.jpeghere and there vol13が来週7月10日に発売されます。最新号HYACINTH REVOLUTION issueはたくさんのかたにご協力いただいて、かたちになりました。

今回はみんなと一冊を作るという編集をしてみたくなり、here and there初の参加型編集を試みました。

冬から春にかけて、ヒアシンスを育てていただいたうえで、生まれた文章、写真、絵、詩、俳句、観察日記、作品などを誌面でご紹介させていただいています。

ヒアシンス革命特集にご参加いただいた42名の皆さまは以下です。本当にありがとうございました!

青木陵子 遠藤麻衣 タカノミヤ 平岩壮悟 菊竹寛 前田征紀 竹村京 ミヤギフトシ 田村友一郎 砂川卓也 竹内大悟 小林エリカ 嶺川貴子 レティシア・ベナ 平山昌尚 伊藤貴弘 宮園夕加 大島史 長江青 田幡浩一 ファビアン・ライトゲープ モアレ 岡田路世 パグメント 岡澤浩太郎 高橋友希 志村信裕 エロール・ファン・デ・ヴェルト 小池アイ子 アンバー・フ 長島有里枝 谷口真人 金氏徹平 服部みれい キャメロン・アラン・マケーン 奥田きく ベンジャミン・ソマーホルダー 高山明 岡部史絵 大神崇 小金沢健人 スーザン・チャンチオロ

ほかに、エレン・フライスやパスカル・ガテンの記事もあります。

最初から最後まで、翻訳は江口研一さんにお願いしました。アートディレクションとデザインは服部一成さん、パブリッシャーはニーブスのベンジャミン・ソマハルダー。服部事務所の佐藤豊さんにも大変お世話になりました。

表紙はアーティストのエレナ・トゥタッチコワさんが、新鋭作家の安野谷昌穂さんと、現代美術作家の前田征紀さんを撮り下ろしてくださいました。Center for COSMIC WONDERでの撮影は特別な時空間になり、わすれられません。衣装はCOSMIC WONDERの2018-19AWとこの撮影のために作成いただきました、特製の幻古山村紙衣です。

ただいま、ユトレヒトのwebサイトで予約受付中です。
http://utrecht.jp/?product=here-and-there-vol-13-hyacinth-revolution-issue-2018

都内および関西でイベントの予定もございます。やく三年ぶりと、久しぶりのhere and thereをどうぞよろしくお願いいたします。
posted by nakakobooks at 22:41 | Comment(0) | here and there news | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新連載 林央子のMagnetic Field Note

マガジンハウス『GINZA』のウェブマガジンで、不定期連載(月1〜2回アップ予定)の、楽しみな連載がはじまりました。

第一回はL PACK.に会いに行く

ライターをはじめたころはまだ編集部に在籍していて、当時は雑誌といえば「紙」だけの時代。ネットマガジンなるものがあらわれて、そこに執筆の機会をいただくことも2000年代になるとちらほらでてきました。紙とちがって、長さが自由! テーマも比較的自由! ということで、自由を謳歌できる場所という認識も最初のうちで、次第にネット媒体は更新頻度や閲覧者数でしばられる難しさも感じるようになりました。

そんな時期をへて最近また、ネットマガジンに読み応えのあるものが増えてきていると思っています。編集Sさんとの出会いはそんな時期に訪れました。「最新情報などは読者のみなさんに調べていただいて」「告知性より、記憶にのこる読み応えのある記事を」。そして、紙媒体では一度とりあげたらしばらくは同じ人を取材するのは御法度なわけですが「繰り返し同じ対象を取材するのもOK」とのお言葉。小躍りしたくなったのは言うまでもありません。

そうして第一回の記事がアップされました。今年で10年目をむかえたL PACK. in 松本の「池上喫水社」を訪れたときのノートです。「池上喫水社」は、工芸の五月における”みずみずしい日常プロジェクト”(by一ノ瀬彩さん)の一貫にある作品で、大学を出たばかり、結成したばかりのL PACK.と、ガラス作家の田中恭子さん双方に声をかけた一ノ瀬さんの誘いがきっっかけとなり、みんなで「そこ(松本)でなにをするのか?」のアイデアを出し合ったことから始まったそうです。一回目の打ち合わせで「池上喫水社」という言葉が生まれ、言葉から作品の構想を拡げていった、というエピソードは、今年の連休、栞日で行われた10周年記念の関係者トークでフムフムときいた話のなかでも、印象深いお話でした。

でもやはり最も印象深かったのは、記事にも書いた大家さんの存在でした。自宅を不特定多数の、みずしらずのお客さんにむけて公開するって、一体どんな事でしょう? どんな人もふと考えてしまうものはあるはず。大家さんとの交流もふくめて作品が育ってきた過程が、素晴らしいなと思った次第です。また「おかしみ」展の実現という野望(笑)にむけ、LPACK.の取材も続けていきたいと思っています。

記事でL PACK.のポ−トレートを撮影してくださったのはたまたま松本に居合わせたミヤギフトシさん。2人のL PACK.結成時のエピソードとして、「どちらか片方が車いすになっても、片方が車いすを押しながら、おしゃれして展覧会のオープニングにいったりしている謎のジジイ2人組っていいな」というところから始まった、という話をきいて、おどろきながらもナルホドと思いつつミヤギさんに伝えると、「おじいちゃんっぽく撮ればいいんですね」とほほえんでいらっしゃいました。そうして5月の松本で、池上邸のにわにたたずむ2人の素敵なポートレートが生まれました。
posted by nakakobooks at 22:30 | Comment(0) | here and there news | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月27日

新雑誌『まほら』についての覚書


編集者の岡澤浩太郎さんに会ったのは、今はなき『トキオン』誌の編集部にいたころで、当時の編集長に誘われて連載を書いていた私がふらっと編集部に寄った時、眼光鋭い若手編集スタッフ数名に紹介されたことをぼんやり覚えています。その後彼は『スタジオボイス』に移動し、アート欄担当になって、なぜかガーリーでならしていた(?)私に、テリー・リチャードソンについて執筆してほしいと頼んでくれて、「かけません」と電話でお断りしてしまったこともぼんやり覚えています。当時の自分の未熟さとともに。。

ボイスがなくなって、時々展覧会のプレスプレビューで相変わらず眼光鋭い彼をみかけたので、MOTの廊下で当時抱えていた『拡張するファッション』の企画(編集者募集中)の話をしたら「いいですね、やりましょう」と男前に言ってくれました。

編集についていろいろ話すうちに、「岡澤君も書くといいですよね」というと「いやいや僕は編集っす」というのでさすがポリシーがあるんだな、と思っていたら、そのうちにTwitterやFacebookで展覧会にいった後間髪をおかずするどい批評コメントを残すという名ライターぶりを発揮するようになって、さすがだな、人ってわからないものだな。と思った。

私も彼もフリーのライターをしているので、日頃から出版界の現状について思う所がないはずもなく、そんなことも話題にのぼるのですが、メディアというものについて「コミュニティがあるところには、メディアはあるよね。ぎゃくにいえばコミュニティがあれば、メディアは必要とされるから、なくなるはずはないよね」という持論を話したりもした。

あるとき岡澤君があらたまって、「自費出版について話をききたいんですが」と言ってくれたので、15年以上もそんなこと(個人的出版?)にかかわってしまったからにはなにか伝えられるものもないと、と思って昔の色々な資料を手に会いに行った。

ポリシーがあるというのはなかなかなことで、だから堅牢な城が築けたりするのですが、またそのポリシーがいつのまにか変わっているということが、この現実界の魅力をかたちづくっているきがする。

そんなことを考えさせてくれる岡澤さんが版元かつ編集長になり、まったくあたらしいメディアを世に出そうとしています。すでに実生活における素敵なパパぶりを発揮している彼ですが、こちらの名編集長ぶりも、この長い紹介文以上のものをいずれ書きたくなる日がくるようなきがします。

須山悠里さんのデザインが、この媒体にとてもよくあっていて、本当に楽しみです。私も今回は現代美術作家の志村信裕さんとの往復書簡という企画で参加させていただきました。それはとても光栄なことでした。みなさまぜひ『まほら』をよろしくお願いいたします。2018年7月1日発売だそうです。
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2015年10月16日

here and there vol.12 がまもなく発売




3年振りとなるhere and there vol.12 がまもなく発売になります。
写真上は、色校正を本紙サイズにカットしたもの。まさに今制作真っ最中です。

テーマはZOKU KAKUCHO、「続拡張」。どうぞお楽しみに!


posted by nakakobooks at 22:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | here and there news | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月12日

志村信裕さんとの対話型連載第二回「湯桶と暮らし」


Inventing Handy Constellations
Nobuhiro Shimura and Nakako Hayashi
Photo and Drawing by Nobuhiro Shimura
Text by Nakako Hayashi
Translation by Kei Benger





Nakako Hayashi (以下NH) 「山々が萌葱色に染まる新緑の季節となりました。遡って4月1日、毎月初日に志村さんが恒例とされている山口の市へは参加されましたか?」
Nobuhiro Shimura (以下NS) 「東京に行っていたため残念ながら今月も行けませんでした」

NH 「3月の下旬、22日には志村さんが参加されていた東京都現代美術館での〈未見の星座〉展が終了し、私の家には志村さんのインスタレーション《fountains》の一部であった湯桶がやってきました。展示室の天井から海面と炎の映像をうつすスクリーンとして配置されていた60個の円筒形のかたちをしたものが、実は湯桶であるということは、美術館の暗闇のなかではすぐには気がつきませんでした」
NS 「過去に、バケツに水をはって花火の映像を投影する作品をつくったことがありましたが、今回は湯桶という器を映像のスクリーンに採用するという初めての試みになりました。木製の湯桶という湯浴みの道具を空間に60個配置し、そこには水をはらずに、映像を木肌に直接投影しました。日本人がながらく暮らしのなかで普通に使ってきたものが、今ではプラスティック用品の存在によって相対的に高価なものとなり、嗜好品のようなものへと推移してしまっていることにも興味がありました」

NH 「たしかに表参道などのブティックでは、木製の湯桶が衣服やインテリア小物、オーガニックな化粧品と並んで陳列されているさまを目にします。でも私はそういった店頭で、湯桶を買うことは思いつかなかった気がします。ですが志村さんが展示を終えたあと、湯桶を欲しい方に配る桶屋を始めたと伺って、私も名乗りをあげました。ほかにも展示に関わった方や志村さんのお友達など、生活のなかでこの湯桶を手にした方がいたわけですね?」
NS 「現実的に、60個もの湯桶を保管しておく場所がなかったということもありますが、身近な人が現代の暮らしのなかで実際にどう湯桶を使いこなせるのかということに興味があったからです。展示が終わってからまだ約1ヶ月ですが、水回り以外でもランプシェードとして使ってみたいとか、小物入れとか、すでにいろいろな提案が出てきていて楽しいです」

NH 「志村さん自身は、展覧会が終わってから、この湯桶をどのように使っていますか?」
NS 「今住んでいる地域が山口の温泉街なので、湯につかりたいときはそちらに行ってしまいます。日本人のライフスタイルが近年劇的に変わってきているように、僕も普段の生活では、シャワーですますことがほとんどです。風呂場で湯桶を使う場面が生活のなかに無いわけですが、朝の洗面や髪を梳かす際に、湯桶に水をはって使うことを思い立ちました。すると、無駄に水を流しすぎることもありません。また木の香りもしてきて、朝のはじまりにはとても心地がよいことに気がつきました。大きさも関係していると思いますが、ここまで使う人の直観に委ねて自由に使える器だとは、使ってみる前には思いもしませんでした」

NH 「志村さんから湯桶を最初に受け取った日は、表参道で桶の受け渡しをしました。その時は二人とも、都心で桶を受け渡すことが、なんとなく気恥ずかしい感じがしたものです。一度家に持ち帰り、机回りの小物入れとして使おうと出しておくと、息子がきて『お風呂で実際に使いたい!』と言い出して、結局2個目の湯桶も志村さんから譲り受けました。その受け渡しを目白駅のちかくで行ったときは、周囲に楽しい仲間もいて、みんなが桶を実際に手にとったりしながら、駅までの道を一緒に歩きました。その時改めて思ったことは、湯桶を手に取るときの触感の柔らかさです。皮や布の鞄とはまったく違う温かみと柔らかさ。古本の挿絵で、湯桶を一つかかえて、銭湯に湯浴みに行く人を描いた絵を見た事がありますが、絵の中の人の感覚が自分のなかにも立ち上ってくるようでした」
NS 「湯桶を実際に手にした人からの多い反応は、まず香り、そして手ざわりです。とくに角や縁の部分の滑らかさに注目する人が多いですね。100円ショップなどで豊富にあふれるプラスティックの製品に慣れてしまい、そちらのほうが当たり前になってしまうと、逆に木の湯桶に触れる体験が新鮮になるわけですね。日本の暮らしに長いあいだ息づいてきて、途絶えつつあるとはいえ今も人の手で作られている木製の日用品は、古き時代のノスタルジーの対象ではなく、今それをどう見て、どう使いこなすか、という自分たちの感覚を刺激してくれる存在なのではないかと思います」



近年の日本人の生活変化は、とりわけ都市部の住居空間において変化が著しい。都市部に限ったことではないが、気密性の高いマンションが増えたことにより、多くの時間を密閉された空間の中で生活する人口が増えた。かつてはすきま風の吹く木造家屋が当たり前だった日本でも、マンションの生活になると、湿度の高い風土にもかかわらず、浴室は構造上風が通り抜けにくい場所に配置されがちだ。だから、黴の温床になりやすい。そのことにも多いに左右したのか、湯浴み製品はプラスティック製が当たり前となって久しい。私も昨年秋に転居した際には、悩み抜いたあげくに、水切れし易さをデザインに取り入れたプラスティックの入浴製品を買い揃えた。その半年後にアーティストとの対話から、自宅の浴室に木の湯桶がやってくるとは予想もしなかった。実際に使いはじめて気がついたのは、その大きさが人の手に、身体に、とても合っているということだった。高さ115ミリは片手で掴むのにちょうどよく、内寸直径210ミリは普段使いする一枚の皿(日本の民藝品にあてはめれば、7寸皿)と同じである。この桶と皿のサイズの一致は、実際に志村が《fountains》を製作中に得た気づきであった。ちなみに湯桶は工業生産品ではなく、職人の手により産み出される手工芸品である。

インスタレーション作品に使用された湯桶。私はおそらくそれらは、次回の展示のために保存されるのかと思っていた。しかし志村は、それを身近な知人に配ることを選んだ。彼にその意図を確認すると、「真っさらな湯桶」というモノは、経年変化を許容しながら楽しむことができる存在であること、そのモノの素材に含有される「余白」が、知人の生活のなかで「育つ」さまを見てみたい、というアイデアがあったことを知った。私はまた、彼との対話のなかで、自らも朝の支度である洗面に、「蛇口をひねれば流れつづける水をそのまま使うのではなく、湯桶に一度水を張り、洗面する」という行為を取り入れてみようと考えた。日常の作業のやり方を一つ、変えてみる。すると毎朝木の香りや水を張った水面にむきあうことは、一日のはじまりにふさわしい精神的な営みになることを、知ったのだった。

気分を変えて、自分を別なモードにもっていくための工夫を、私たちは普段から行っている。茶を飲む、香や草花の匂いをかぐ、等。湯桶に端を発したエピソードでは道具に導かれながら、日常の営みを精神的な行為へと変換できることの気づきを得たことが、面白いと思った。身近な生活のなかで、モノに出会いつつ、あたらしい発見を探していこう、という気持に自分がなっているとき、自分と世界との関わりが、たんなる消費者ではなく主体的に考え、動く人になってきた、という気がしている。そして「今日あの花はなんと綺麗な色で咲いているんだろう」というような、小さなことにポジティブな発見を見出すことが増えた。都市にいると鈍化しがちな感性が、都市にいながらにして動き出したようで、それは自分のなかでもとても嬉しい変化である。  
                          
 2015年5月9日
posted by nakakobooks at 21:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | here and there friends | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月24日

エレンのパープルに、志村信裕さんと隔月連載スタート


パープルのエレンのブログ「Les Chroniques Purple」で、アーティスト志村信裕さんと林央子の対話にもとづく連載シリーズ「Inventing Handy Constellations」がはじまりました。

Inventing Handy Constellations
Nobuhiro Shimura and Nakako Hayashi
Photo by Nobuhiro Shimura
Text by Nakako Hayashi

Nakako Hayashi(以下NH) 「2年前の春、山口県に引っ越してから毎月1日、市の中心部にある亀山公園の骨董市に出かけることを習慣としている志村さん。今月は何かに出会いましたか?」
Nobuhiro Shimura(以下NS) 「今月は残念ながら、雨だったので行けませんでした。代わりに自宅にあるものを紹介したいと思います」







NH 「まるで一人のひとのような気配を感じる匙ですね」
NS 「確かに、ひとみたいで愛らしいですね。この竹の匙は島根県の松江に古くからある民藝品店の片隅で見つけたものです。竹細工職人が、目が悪くなってきた晩年からつくり始めたものだと聞きました。残念ながらその方はすでに亡くなっていて、現在の店主は職人の名前も分からず、まさにアノニマスなものとの出会いでした。その店の在庫にあるものがデットストックだと知り、すぐに2本買い求めました。暮らしのなかで使いたいというだけでなく、この竹の匙から学べることや創作のインスピレーションがあるはずだと直観的に思ったからです」

NH 「民藝品店にいくと、箸やカゴや一輪挿しなど、私たちの暮らしで最近見かけることが少なくなってきた竹製の道具を目にしますが、とくにこの匙に心奪われたのですね?」
NS  「竹という素材に以前から関心があったわけではありません。むしろ時代遅れのもだというネガティブなイメージさえありました。この匙を見つけたのも、陶器を扱ったアートプロジェクトのリサーチの途中で、偶然見つけたのがきっかけです。見てのとおり、匙の形や大きさが不揃いなのは、現代の工業製品に囲まれた生活のなかでは、不自然かもしれません。しかし実際に手にとり、使ってみると、それぞれの竹の節を生かした造形だということが分かり、むしろ形が違うのは極めて自然なことだと感じました。手に持った瞬間、節に指がかかることで持ちやすいつくりになっていることが分かります」

NH 「実際に暮らしのなかで使ってみての気づきですね」
NS 「竹は表面が滑らかなだけでなく、抗菌などの浄化作用があるので、食生活で使われる道具としては最適な素材なんだと今では見直しています。また、まっ赤な漆は装飾として塗られているだけではなく、防水性を賦与し、下地を強化させる機能があります。最初は気づきませんでしたが、これほど匙として機能的で、かたちもユニークな生活道具が、伝統工芸でもなく、一地方の職人の手仕事として生みだされていたことに驚きました」

NH 「漆のお椀は、食洗機もわりと普及した日常の暮しではやはり、消えつつある日本人の生活道具ですね」
NS 「最近読んだ『台所道具の歴史』(栄久庵憲司著 1976年)という本には、「日本人の生活にとって、竹と漆は木材に劣らず親しい存在である。むしろ食事に関係する漆塗りと竹製の容器ほど日本的なものは他にないといってもよいであろう」と書かれていましたが、このくだりは特に、この竹の匙のことを集約したぴったりのフレーズだと思いました」

NH  「私も志村さんに教えてもらって同じ本を読みました。プラスティックの道具や最近日本でとくに人気の北欧の器類が生活に溢れるずっと前、成長の早い竹は日本の風土のなかでもとても身近な素材で、とりわけ食事の周辺でよく使われていたということを知りました」
NS 「機械生産によるプラスティックや磁器の生活道具は安価で大量に供給することのできる便利なものです。それに対して、地域から採れる素材をつかい、職人の手によって一つずつ産み出していくものが価値を見いだされずに、刻々と姿を消していることに危機感を感じます。もの本来の価値は、以前の自分のように、新旧のラベリングをすることで見失ってしまうことを知りました。ものは人の生活に寄り添うために生まれてきました。今度は人がものに寄り添うように再び価値を見いだす時代になってきたのではないでしょうか。今ではこの竹の匙でヨーグルトを食べるのが毎朝の喜びになっています」


日本で最古の物語文学といわれる『竹取物語』は、竹を採取し道具をつくりながら暮らしている老人がある日、根もとが光輝く竹を見て、その筒のなかに赤子を見つける、という設定から始まる。彼女は美しい姫となり、幾多の求婚者から求められる存在になる。いっぽう上述の栄久庵の書籍によれば、「竹の身近さ、加工の容易さは、かえって人間に素材としての竹の品位を低いものと感じさせることになった」とある。竹を巧みに扱い、物をつくり出す人々が、尊敬を払われる地位にいたことは、あまりなかったようである。

生活習慣も環境もまったく変わってしまった日本の暮らしのなかで、今も変わらずに存在している竹もある。京都を旅すれば、和風家屋の意匠のところどころ、すだれや垣根をはじめ塗り壁の下地、窓の桟などの建材に、竹が配されていたことに気がつく。また日本のどこにでもある神社の手水舎で、手洗い、口すすぎなどの清めの所作をおこなうための水盤まわりの道具は、多くの場合、竹杓子が置かれている。あたりまえすぎて意識にのぼらないほどであるが、正月に門出の象徴として毎年各戸が門の前に出す門松は、三本の竹を松葉で囲んだものである。

一方で、竹という素材を意識して周囲を見渡してみると、日本の国土面積のほんの一部である都市部をのぞけば、増えすぎて困る植物である。執筆にあたり、エレンとのメールのやりとりで知ったことは、南フランスの田園地帯においても竹は増えすぎてやっかいものの植物だと見なされている、ということだ。成長が早く増えすぎる竹を日常の暮らしに取り戻そうと、割り箸を竹の箸に置き換えようとする試みや、なんとかして竹の利用法を見直そう、という気運がないわけではない。しかしその試みも、増え続ける竹の野生の速度にはいたらないようである。




竹は審美的に見ると美になり、豊富さから見ればチープになり、生活のなかでずっと人の役に立つ身近なものであり、日本においては神聖視されることもあるものである。そこに職人の手が加わることで、ものに生命が吹き込まれた。志村は匙につかわれた竹のなめらかさと、目が見えなくなってきた老齢の職人の手が産み出した触感ゆたかなものの愛らしいかたち、そして、失われつつある竹細工と漆工芸の結合に出会った。それは視覚優先の社会にいきる私たちが本能的にもとめるものとの出会いであり、発見であった。

あたらしく見直すことで、世界は民主的に開かれていく。俗なるもの、ありふれたものは一転して、神秘なる生命(いのち)へ、美なる形象(かたち)へと昇華される。誰も顧みないもののなかに美を発見すること。それはわたしたち自身を遡る、時空をこえた旅でもあり、同時に明日への希望でもある。

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2014年04月24日

和製ライオットガール集会




4月5日よく晴れた土曜日。
世間ではさまざまな学校で入学式が行われていましたが
水戸芸術館では、卒業式が行われていました。

担任が、浅田政志さん。
校長が、神田恵介さん。

なんて豪華な卒業式なんでしょう!
これは、神田さんと浅田さんが3年かけて女の子たちと築き上げてきた
ふたつのプロジェクト
「卒業写真の宿題」「卒業写真の自由研究」の、
記念すべき写真集(赤々舎刊)発売日に芸術館のATMホール(300人収容)
で行われたイベントでした。

神田さんのお洋服のファンの集いのようでもあり、
全国から公募された多くの人たちから選ばれた、魅力溢れる被写体の女性たちの
人生へのはなむけへの集いのようでもあり、
そこに集まった人たちが目に見えない線で結ばれているような場でもあり、また
そこから新たなtribeが立ち上がってくる場のような
なんとも名付けようの無い感慨深い、晴れた春の一日でした。

いつか、ここに来ていた女の子にまた会ってみたい
そう思った日でもあります。

デリケートな、フリルやパステルカラーいっぱいの神田さんの服。
その服を身にまとった彼女たちの(あるいはそれを着ていなかった人たちも)
可愛いという言葉だけでは捉えきれない闘志とか内省にむかう強さとか。
まさに「すべての人は創造的である」というパスカルの言葉の
別のあらわれを見せてもらった日であったような気もします。

この彼女たちと、神田さん浅田さんによる
新たなファッション写真をめぐる冒険のプロジェクトは
書籍「卒業写真の宿題」(赤々舎)に収められています。

また、この日の集会の様子も、拡張するファッション展カタログでも
臨場感たっぷりにお伝えしていきます。

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